読了予測:3分42秒
今日、毎年受けている特定健診を受けました。
血液検査の結果は一週間後ですが、胸部レントゲンの結果、なにか怪しい影?穴?のようなものが写っており、大きな病院で精密検査をと言われました。
先生は、安心させるためか、たぶんなんでもないと思うけど、とか言ってましたが、僕は心配性なのでその言葉を信じることはできません。
現に精密検査はするのですから。
もし、肺がんとかで、余命幾ばくもないとしたら、僕はどうすればいいのでしょうか?
人生でやり残したこと
いま、47歳。江戸時代や明治時代だったら、十分に生きたと言えるかもしれない。
しかし、今や人生100年時代とも言われるようにみんな長生きになった。
47歳は流石にまだ若い。
なにか人生でやり残したことはないか?
30を迎える頃に、一つの葛藤があった
こういう問いは、よく自己啓発本の中で問われる。
だが、僕はあまり、後悔というか、あれをやっておけばよかった、というようなことはないように思われた。
インドア派で、旅行も好きではないし、庶民が欲するであろう大抵のことはやって来たような気がする。
ただ、女性が苦手だった。端的に言ってモテなかった。
30歳になろうとしていた。彼女などいた事はなく、童貞だった。流石にちょっとまずいと思った。
これはもしかしたら、男性というか、動物の本能のようなものかもしれない。
子孫を残したい、遺伝子を残したい、と言うか。
結局、30歳のときの自分に伝えたいのだが、お前は37歳まで童貞だよと(笑)
沖縄に行きたい
また、これは今でも思っているのだが、沖縄に一度行ってみたい。
理由は単純で、ここが寒いからだ。僕は極度の寒がりなのだ。
一応、九州ではあるが、北の方なので寒い。
僕にとっては、11月の半ばくらいから5月のゴールデンウィークくらいまでが冬で、1年の内の約半年が冬なのだ。
一年中温暖な沖縄で暮らしたい。
小説を書きたい
文学が好きだ。
いつか、芥川賞を取りたい。
いや、別に芥川賞でなくていいから、ひとつ、自分で書いた小説を完成させたい。
老人が晩年になって、自分史を書きたくなるような心境だろうか。
大恋愛をしたい
これはもう叶わぬ夢かな。もう47歳だもんな。
先程の、37歳まで童貞問題とも絡んでくるが、とにかくモテないもんで、恋愛経験があまりというか少ない。少なすぎると言っていいだろう。
誰かを本気で大好きになったことが、片思いは別として、ない。
誰かとお互い大好きになって大恋愛がしてみたい。
どうせ死ぬのになぜ生きるのか
名越康文先生の著書に「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」というタイトルの本がある。
前に期待して読んでみたけど、もう内容は覚えていないが、期待外れだった記憶がある。
確か仏教のことが書いてあったような気がする。
どうせ死ぬのになぜ生きるのか?
これは常々思ってきたことで、人間、必ず最後は死ぬのだから、芥川賞を取ろうが、ノーベル文学賞を取ろうが、社長になろうが、最後は死んでしまうのだから意味ない。
それがなんだというのだろう?名誉?後世に名を残す?そんなのちっともうれしくないし、死の前では無力だ。
だから未だにこの答えはわからないままだ。
死ぬという恐怖
記憶にあるのは、確か小学生の頃くらいから死の恐怖を感じて生きてきた。
いま、ここに存在している自分、その存在自体が消えてなくなるというのはどういうことか?
我思う故に我あり、思っている我は、確実に消えてなくなる。
そのことが何度考えてもぐるぐると頭の中をめぐり、恐怖に包まれ、考えまいとし、何か他のことを考えて気をそらそうとした。
そうしたことはいまでもしばしばある。
日本人の死生観
これは、日本人の死生観とも関係しているかもしれない。
ご多分にもれず、自分も生粋の日本人で、死んだらただ単に無になるとしか思ってない。
天国もない。来世もない。死後の世界もない。
ただ、眠るように意識がなくなり、あとは自分の知らないところで火葬されて骨と灰になるだけだ。
魂なんてない。なんにもないのだ。
それ故の圧倒的な恐怖。
日本人に生まれてよかったのか悪かったのか、よくわからない…。