本読みライフ

読書ブログをやろうと思って気づいたら迷走している。

AIは人間の仕事を奪わない(完全には)

はてなブックマーク見てたら久々にfinalventさんのブログが!

 

ブログ再開?: 極東ブログ

 

僕はfinalventさんが大好きで、Twitterも一時期フォローしていた。一度だけ、本を書かれたことがあってとても興味深く読んだ。

考える生き方

考える生き方

Amazon

確か3回くらい読み返したと思う。僕は滅多に本を読み返す方ではないのでこれは珍しいことだ。

 

それくらい、素晴らしい内容だったということだ。残念ながらこれ以来本は出されていないらしい。

 

と、まぁ、finalventさんのこのブログを読んだことがきっかけで、ある考えが浮かんで、書かずにはいられなくなって筆を執った。

 

この中でfinalventさんは、Notion AIに文章を書かせてみたけどだめだったみたいなことを書いていた。正確にはだめではないけど使えないって感じかな。

 

そこで考えたのが、AIは確かに我々の仕事を奪っていくかもしれないが、人間には「やりがい」というものがあり、すべての仕事を奪うことは出来ないのではないか、と言うことなのだった。

 

もう結論を書いてしまった。

 

最近、母が74歳にして、NHK英会話を始めている。ずいぶん楽しんでいるようだ。

 

でも僕は、スマホの翻訳アプリを出して、ChatGPTも出てきたことだし、DeepLという素晴らしい翻訳サービスもあるし、ほら、今のアプリは会話も出来るし、それを発声もしてくれるんだよ。いつか、もうみんな英語を勉強することはなくなるかもね。

 

みたいなことをいったら、母は、それはない。だって、アプリを取り出して操作するのもさっとは行かないし、とかなんとか言ってたけど、本質はそこじゃなかったのだ。

 

英語を勉強して、実際に「自分で」英語を話すことが大切(やりがい)だというのが本質なのだ。

 

AIのほうがずっと上手に文法の間違いもなく正確にやりとりしてくれる、そんな時代はもうすぐそこまで来ている。

 

しかし、例えば映画を字幕なしで見てわかる喜びとか、フェイス・トゥ・フェイスで外国人とやりとりする楽しみとかはAIでは絶対に実現できない。

 

要は棲み分けなのだ。

 

誰もコンビニのレジ打ちにやりがいを見いだして嬉々としてコンビニ店員をやりたがる人はいないだろう(コンビニ人間の村田沙耶香さんは別だが)。

 

だけど、そういうある種のやりがいのない単純作業はAIがやり、喜びや楽しみややりがいがある仕事は人間がやる。そういう時代になるのではないか。

 

もし本当にAIにすべての仕事が奪われてしまったら一体人間は何をやるのかという問題もある。

 

子供部屋おじさんである自分にはそれがわかる。お金があって生活に不自由しなくても、何かやらないと暇で暇でしようがないのだ。

 

本(小説)などもやがてAIが書いてくれるようになるだろう。だが、そこに個性(文体)みたいなものはあるのか?

 

まぁ、あったとしても結局、作家が文章を書くというオナニー的な楽しみは残るが。

 

急に思いついて書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまった。

 

ここまでつまらない文章を読んでくださりありがとうございました。